昔のわたしは、友だちからよく「悩み無さそう」と言われていました。
よく笑ってたし、冗談も言うし、早口で落ち着きなく賑やかだし。
だけどそう言われていたあの時から、すでにこころの中はいろんなおもいでいっぱいで。
それでも、何か思うことがあっても伝えず、じぶんから嫌な波風は立てないようにしていました。
いろんなことをおもって過ごしていたけど、出さないようにしてた頃。
そこには、自分自身を“こういう人”としてみてほしい、こういう人としてはみてもらいたくない、という気持ちがあって、それがどこかじぶんの一部をかくしてた様に感じます。

以前からリアルで私と関わっている人の中には、
私がアートやこころのことなどで真面目に話すことがある時、違和感を感じたことがあるかもしれないし、ないかもしれない。あれ?「ぽくない」とか。
でもそんなじぶんは
決して“つくってる”わけではなくって。
じぶんっていうのは
ひとつの「こういう人」だけではくくれない。
アホな私もいれば、真剣な私もいる。
それは誰だって同じで、
普段文句ばかり言ってるなあと感じる相手の中にも
「自信がないじぶん」がいたり
人当たりよくて優しい人の中にも
「わがままなじぶん」がいたりするのかもしれない。
みせたくないじぶんを隠して
みせていいじぶんだけを出していると
どこか不完全さを感じることがある
全部あってじぶんのカタチで
全部あってじぶんの色が揃う
ついつい否定したくなるじぶんにも
「そんなわたしもいるよね」と
何のジャッジもなしに、みてあげたい
そんな想いをこめて
Leo art Labo
