最近人とのやりとりで本当の意味での意思疎通がうまくいってないと感じることがあって。
だけど相手がいることで自分が知れるというのは事実で、今回私はその相手のおかげで、自分の癖にまた気付けたのでした。
「どうにかしてあげたい」という気持ちは、一見親切なようだけど、相手にとって多大な迷惑になる時もある。
相手の言ってることと表情やエネルギーが一致していれば全然納得だけれど、真逆だと“本当にそれでいいの?”と気になっちゃう。だけどそれは私にとっての“こうしてあげたい”という「正解」を無理矢理相手に押し付けているということだったんだなと、今は感じる。それは私の父親のやり方そのもの。父の場合は「してあげたい」という善意的な押し付けではなく、「自分の都合のためにお前はこうしろ!」「世の中は普通こうだから、お前はおかしい!」というもので、私はそうやって父の正解を押し付けられるのがとてつもなく嫌だった。だから日常でも、そういう相手には反応を起こす。だけど自分本意な「正解」を押し付けるという意味では、今回は私も同じだったんだよなあ。
相手が「自分のこの思考判断を変えたくない」状態であるならば、いくら言ってる内容とエネルギーが真逆といえど、その思考を“変えたくない”のが今の状態。変えたくないものを変えさそうとされるなんて、そりゃ嫌だよね。
そっかー、私はついつい他人の領域に踏み込んでしまうことがあるんだなあと気付いた。それが時によってはめちゃくちゃ感謝されることもあれば、ありがた迷惑になることもある。相手が助けを求めているかどうかを自分基準で勝手に決めてはいけない。そもそも助けて“あげたい”スタンスで在る時点ですでに違う。相手が今の時点でどうしたいのか、それを知って尊重することを学んだことでした。感謝。
Leo art Labo