人生で出会った人の中で、苦手だな、好きじゃないな、って感じた相手が1人もいない、なんて人はいないんじゃないかとおもう。
こころの学びをはじめてから、じぶんが「この人あんま好きじゃないなー」って思った時、実は好きじゃないのはその人自身というよりも、その人の持ってる要素であって、その要素をじぶんも持っていることを知った。
なぜなら、人はじぶんの中にないものは人の中に見つけられないから。
例えばぶりっこが嫌いって思う人は、なんでぶりっこが嫌いなのか。その人にとって「ぶりっこ」ってどういうイメージなのか。そこにある理由が、自分が嫌だと思うものだったり、自分にもそれがあるって認めたくなかったり、隠したいと思ってたりする。そんな「ダメ」が内側にある。だから自分が禁止してる“それ”を目の前で堂々とやっちゃってる女の子がいるから、腹が立って反応しちゃうという事なんだと。
昔友だち💋A子が「C子🐰ってぶりっこだよね」とよく嫌そうに私に言ってきてたけど、私は🐰C子に対してそういう嫌気は生まれてなかった。だけどA子にとっては「ぶりっこ」のなにかが許せない事だったんだろう。ただ私にとっては、裏ではそう言う割に、表ではC子🐰と仲良くするA子💋の方が嫌だと感じてた。それは私の中にある「矛盾」や「不誠実」な事をしちゃダメだと抑えてるものをA子に映し出してたんだと思う。
相手は同じなのに、その人へ抱く感情は人によって違うっていうのは、そういうことだったんだー、と気付く。だから「この人やだな」って思った時に、一気にじぶんにはねかえってくる感じがあった。
だからその人に対してマイナスな感情が生まれ続ける間は、じぶんの事をまだ認められてないんだークリアできてないんだーって思ってた。
だけどふと、じぶんのクリアを証明するために、無理に「嫌い」から抜けようとしなくていいかーと思えるようになった。
今の段階で好きじゃないと感じるなら、好きじゃないんだもの。
ただその上で、
じぶんが嫌っている、じぶんの要素を相手に映し出しちゃう事でそこばかりが目立ちがちだけど、それが相手の全てではないんだよなあと認めることも大切。
相手の存在はじぶんを知ることに気づかせてくれるから、相手に対して「やだなー」って思うだけで終わるんじゃなくて、そこから自分自身への気付きをしっかり得れれば、その後の相手へのおもいを今の段階で無理やり変える必要はないよなあ。
いいと思うとこ、思わないとこ、全部含めたのが相手であると同時に、それはじぶんも同じ。
そして相手の中に映し出されてみえるものは嫌なとこばかりじゃない。相手に対して素敵!って思えることに関しても同じ。
じぶんが持ってるから相手の中にみつけられる。あの人のこういうところ素敵だな〜♡って見つけられているということは、その素敵要素がじぶんの中にもあるということ。
いやそんな、おこがましいい〜って思う時もあるけど、同じ度合いにできなくてもその種はあるんだと思うと、育てたくなる。
欠けていても、まんまるでも、ぜーんぶ含めてひとりの人間。画像の作品もそういうメッセージをこめて。
Leo art Labo