年末年始、実家の高知で過ごしています。紅白を見ながら母と話しているうちに、いつの間にか話題が母の祖母――私にとってのひいばあちゃんの話に。気づけば手に持っていたスマホをそっと置いていました。なぜかというと、目の前の母の口から語られる「知らない過去」をもっと聴きたいと思ったから。
それがまた、けっこう興味深い話で。
母方のひいばあちゃんには兄弟が10人ほどもいたそうです。その時代、家族の誰かがブラジルや北海道に開拓移住することも珍しくなかったとか。その中で、まだ荒れ地だった北海道へ移住したひいばあちゃんの兄弟たちがいて、なんと、それがきっかけで私の母方の苗字が北海道に増えていったんだそうです。
「へえ、そんな繋がりがあるんだ」と思わず感心。
北海道が大好きで、年に2~3回は旅行に行く私にとってはちょっとした発見でした。母の家系と北海道にそんな繋がりがあるなんて、なんだか嬉しくなりました。
そして今いる愛媛も、母にとっては懐かしい思い出がある場所。愛媛と北海道という、私の好きな地の不思議な関係。
実は、母の話にしっかり耳を傾けようと思えたのには、もう一人の「おばあちゃん」の存在がありました。
私が生まれた時から一緒に暮らしていた父方のおばあちゃん。戦争を経験し、最期の時まで結婚指輪をはめ続けていた姿が印象的でした。あの曲がった指に輝く金色の指輪。あの時代の人にとって、どれほど重みのあるものだったんだろう。
おばあちゃんがノートに日記のように書き記していた文字を思い出します。当たり前だけど、それはおばあちゃんの手で書かれた「生きていた証」。戦争やその時代の話はネットで情報が溢れているけれど、実際にその時代を生きた人の「生の声」には、やっぱり敵わないものがあります。もっとおばあちゃんの話を聞いておけばよかった――それが今も心に残っています。
そう考えると、身近な母からも、いつか最後の「バトン」を受け取る日が来るんだなと。だからこそ、今一緒に過ごす時間を大切にしようと改めて感じます。
そういえば、母の若い頃の話を聞いたことがありました。山生まれ山育ちの母が、近所の敷地に生えている柿の木に登って柿をもいで食べていたというエピソード。
なかなかのわんぱくぶりに笑いました。そしてそれは、年を重ねて孫がいる今の母からも感じるエネルギー。私が持っている無邪気さは、母から受け取ったものだったんだなあ。
2023年の終わりに、そんな「つながり」を思い返しながら、これからも自分の中に受け継がれていくものを大切にしたいと思います。
皆さまもどうぞ、よいお年をお迎えください。
Leo art Labo